薩摩半島の西岸、東シナ海に面し、南北約45キロメートルにわたって続く鹿児島県日置市の吹上浜は、千葉の九十九里・鳥取の大砂丘とならんで日本3大砂丘に数えられています。 この地には、かつて南薩鉄道*注1というローカル私鉄がありました。国鉄鹿児島本線の伊集院から薩摩半島南西端の枕崎まで、薩摩半島を縦断していた南薩鉄道(以下・南鉄)は、1914年(大正3年)の伊集院−伊作間の営業運転開始から1984年(昭和59年)の廃止まで、約70年間に亘って沿線の人々のくらしを支えてきました。 |
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「さつま湖ロープウェイ」は南鉄が、同社の最盛期*注2と云われる1950年代(1956年:昭和31年)に、沿線の薩摩湖に開園したレジャー施設「薩摩湖遊園」の付帯施設として開業した、九州地方では初の鉄道会社の手による普通索道。 |
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さつま湖(薩摩湖)と、さつま湖ロープウェイの沿革については、吹上町編纂の「吹上郷土誌」に、非常に簡潔に纏められている件(くだり)があるので、以下に引用します。(グレーのフォントが引用文、改行は管理人) |
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◇ 薩摩湖 吹上浜に点在する砂丘湖の一つで、周囲二・五キロ、面積十二ヘクタールの淡水湖です。昭和二十九年(十九五四)に「中原池」を「薩摩湖」と改称しました。 このころ、鹿児島交通が一帯の公園化に着手、十二万本が咲き競う「つつじヶ丘 」、二〇〇種のバラが咲くバラ園、そのほか椿(つばき)林、桜並木、児童遊園施設、ロープウェイ、遊覧船、貸しボートなどが設置され、昭和三十年代にはモダンな公園として県内外から人気を博しました。 しかし、四十年代に入ると各地に類似した観光地がオープンし、また、観光の多様化に影響され来遊者が激減、ついに主要施設を撤去し、平成十三年度からは町のまちおこし課が管理を引き継ぐことになり、従来のつつじ、桜並木、バラ園の経営から、湖内を遊泳するブラックバス 、ブルーギル、鯉(こい)、鮒(ふな)などの釣り場として新たな名所に再生しつつあります。 毎年行われるさつま湖花火大会は昭和三七年(一九六二)からはじまり、湖面に映る大花火は夏の風物詩として大勢の観光客を集めましたが、平成十三年からは、 それまでの七月二八日開催を秋季に変更して、各種イベントと併せて行われるようになりました。 −引用終わり |
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引用文は、昭和30年代には、ここ鹿児島にもレジャーブームが到来したことを伝えていると同時に、この索道が辿った盛衰の足跡もまた、サイトで取り上げているすべての索道廃線と共通するものであったことを物語っています。 |
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1968年発行の1/2.5万地形図。左上の薩摩湖駅近くの山麓駅から、中央左寄りのつつじヶ丘まで索道の記号が描かれている。 |
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【訪問記】 2010年8月 |
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この日、鹿児島は眩しいくらいの快晴。空には入道雲が勢い良く湧いて、とても暑い一日でした。この前日に屋久島で「縄文杉トレッキング」をやったので、ちょっと足が痛いですが、久々の索道廃線跡探訪のスタートです。 |
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現在、さつま湖公園は立ち入り禁止となっているので、公園の敷地内に入ることはできません(侵入者は法律で処罰されます)。 真夏の強い陽光の下、まるで静止画のように何ひとつ動くものの無い森閑とした公園を眺めていると、夢の中の世界に居るような感覚を覚えます。 廃止から40年以上も放置状態というロープウェイ山頂駅(つつじヶ丘駅)の駅舎は、数年前に件の「花火大会」の花火が原因で焼けてしまったそうですが、無残な焼け跡となった現在も、湖の西側から遠目にその姿が確認できます。 |
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一方、南鉄の薩摩湖駅とロープウェイ山麓駅(吹上遊園駅)があった一帯は、現在は綺麗に整備され、付近には立派な体育館や新しい入浴施設などが出来ています。南鉄の廃線跡探訪の定番撮影地のひとつだった、薩摩湖駅跡近くの索道の落下物防護柵があった辺りは体育館の予備駐車場となっていました(下の写真)。 |
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で、最後になりましたが、これがその「さつま湖ロープウェイ」の運行時の写真(絵葉書)。写真といってもご覧のようにモノクロ写真に「手彩色」が加えられているようです。 手彩色の写真って、何だかおどろおどろしい感じがして苦手なんですが(私だけ?)、この歴史的索道の往時の勇姿を見ることができるだけで良しとしましょう。 |
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さつま湖ロープウェイ *昭和30年代の絵葉書「ふきあげ」より |
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*注1 1964年(昭和39年)、合併により鹿児島交通株式会社(現在はバス事業者)となる。 *注2 国鉄乗り入れが実現し、枕崎−鹿児島間の直通運転が開始された1949年(昭和24年)から1950年代の終わり頃までが、南鉄の最盛期であったと云われている。 |