全国の廃線ロープウェイ|失われたロープウェイ

御荘湾ロープウェイ
  
【レクリエーション都市構想】

戦後の高度経済成長も安定期に入った1969年(昭和44年)、国民の所得の向上と余暇の増大が顕著になりつつあったことから、建設省(現・国交省)は1964年を基準とした場合、20年後の1984年(昭和59年)における日本のレクリエーション総需要は約5倍になるという予測を立て「新全国総合開発計画」を発表。

この計画には「レクリエーション都市構想」というものが含まれていました。

これは、余暇を楽しむにはスポーツ・文化・レジャーそれぞれの分野での充実した施設が必要であり、同計画の要綱に従ってそれらの施設を備えた街づくりをおこなう、というものでした。

レクリエーション(re-creation)とレジャー(leisure)は、ほぼ同じ意味ですが、レジャーの「余暇」や「娯楽」という意味に加えてレクリエーションには「再生」、つまり日々の仕事からのリセット的な意味合いが強く、国内ではレジャーよりも多少アカデミックというか、お役所好みな使い方がされます。

「レクリエーション都市」は閣議決定の翌年の1970年から、三重県の熊野灘・千葉県の九十九里・そして今回登場の「御荘湾(みしょうわん)ロープウェイ」が建設された愛媛県の南予の3エリアで計画が開始され、これに続いて全国各地でも計画が進められました。



南予(なんよ:四国・愛媛県南西部)は、国内では東北の三陸海岸とならぶ「リアス式海岸」である宇和海の海岸美で知られる地域。


海上ロープウェイ 御荘湾ロープウェイ


同エリアは当時、第一次産業が主体で愛媛県の中心地である松山市からの交通アクセスも不便だったことから、この都市構想による地域の発展と関西や九州地方からの観光客の入り込みが期待されました。

南予レクリエーション都市(以下・南レク)は計画をI期からIII期までに分け、30年以上に亙って整備をすすめることになり、運営は当時は革新的だった第3セクター方式でおこなうことになりました。

御荘湾ロープウェイは、南レクを構成する3つのエリア(津島地区・御荘/城辺地区・宇和島/日振地区)のうち、御荘湾に面した御荘/城辺地区(南予レクリエーション都市第5号地区)内に建設された4人乗りの自動循環式ゴンドラリフト。

愛南町にある四国最大級のプール、「南レクジャンボプール」脇の山麓駅と、湾を挟んで対面の宇和海展望タワーが聳える馬瀬山(標高160m:同第3号地区)の山頂駅を約8分で結んでいました。

同索道は、キロ程約1600mの大半が海上のため、11基の支柱のうち径間の長い海上の3(4)基は海中に基礎が建設された本格的な海上ロープウェイ。

海上ロープウェイは、遊戯物に近いものも含めると国内にも幾つかの事例*注1がありますが、ここほどの規模のものは類をみません。

御荘湾ロープウェイ
当時の御荘周辺図交通公社ポケットガイド四国・淡路島・小豆島/1978より
当時、御荘側から馬瀬山までのアクセスはこの索道と、有料道路の西海道路(2006年無料化)に限られていたため、宇和海展望タワー利用者の足としても機能していました。


大きく期待されたレクリエーション都市構想。各地でその建設がはじまったばかりの1974年、オイルショックにより高度経済成長は終焉を迎え、1980代後半から1990年代初頭のバブル期では、余暇の対象は国内から海外へと向けられるようになります。

結果、全国のレクリエーション都市はどこも苦戦を強いられ、南レクにおいても、構想に含まれていた大手企業の誘致や予定地の取得は難航。

当初、年間500万人/1日最大10万人の需要に対応するべく計画された南予レクリエーション都市。現在までに完成している各種施設の合計利用者総数は1991年度で年間約70万人、2008年度は36万人(1日約1000人)。

現在の東京ディズニーランドの入場者数でさえ1日約4万7千2百人*注2であることから、当初見込んだ1日10万人の利用というのはちょっと現実的とは言えず、「年間500万人」に対する達成率は1割に満たない、ということになります。

この数字だけをみると、1969年の「新全国総合開発計画」自体が的外れな計画のように感じますが、これはバブル経済時代と同様に「右肩上がりの成長が長期に亘って続くと、誰しもそれが永遠に続くと考える」、ということの表れではないでしょうか。

御荘湾ロープウェイは利用者の減少と西海道路の無料化に伴い、2006年に運行を停止、その後廃止となりました。


【参考資料】

建設月報
新都市
地方行政
レジャー産業資料
国づくりと研修
南予レクリエーション都市公園


建設省
都市計画協会
時事通信社
日本エコノミストC
全国研修センター
愛媛県


1971
1973,74,92
1973
1973
1983
2009



訪問記】 2013年7月

このサイトを始める少し前、四国の「南レク」という所にあるゴンドラリフトが運行を休止する、という記事を何かで読みました。

関東(横浜)に住む私にとって「南レク」に関する予備知識はゼロ、どうも広大なテーマパークか遊園地のような印象だったため「四国のTDR(L)のようなものかな」と感じた記憶があります。

実際は前述の通り、民間のテーマパークの類ではなく行政主導の大規模な都市計画公園だったわけです。

従って、今回訪れた愛南町(南宇和郡)と津島町(宇和島市)には国内の古い観光地にありがちな小規模な観光施設や宿泊施設がごちゃごちゃとひしめき合うカンジが無く、整然と区画・整備された道路と街並みが印象的でした。


海中に残る支柱の基礎。

上の写真はページトップの写真とほぼ同じアングルから撮った現在の馬瀬山方向で、山頂の塔が高さ107mの回転上昇式展望台「宇和海展望タワー」。

索道の海中の3基の支柱は、基礎部分を残して撤去されているのが解ります。

続いて馬瀬山の山頂。ゴンドラ山頂駅舎は宇和海展望タワーのチケット売り場と南レク職員の事務所を兼ねているので現在も普通に営業中。

駅舎は斜面に建てられているので外観はゴンドラ運行時代と変化は無いと思われます。


馬瀬山山頂のタワーチケット売場兼事務所(左)と展望タワー(右)

最後は南レク御荘公園内の旧ゴンドラ山麓駅。現在は倉庫として再利用中で、この建物の前の広場では毎年、カツオの祭典「愛南びやびや祭り」が開催されるそうです。


長崎(御荘公園内)の旧山麓駅舎。

ちなみに今回の南予訪問の拠点として利用した愛南町の「ホテルサンパール」も南レク構想の一部として1971年に第5号地区に完成したボウリング場併設の宿泊施設で、前述の「南レクジャンボプール」に隣接しています。

この日、宿泊客は私たちと、お遍路さんと思われる数組でしたがホテル名物・ビアバイキング(ビール飲み放題付きブッフェ:美味かった)の会場は地元の人たちで大盛況、すごい盛り上がりでした。

また、津島町(南予レクリエーション都市第1号地区)の四国最大規模の池泉式日本庭園「南楽園」に隣接するファミリーパークも、愛媛ナンバーの車がたくさん。

レクリエーション都市構想が本来目指したものとは少し違うけれど、現在南レクの施設は、「地域交流の場」として機能しているように感じられました。



チケット売り場屋上から望む御荘湾の絶景。支柱が一直線に残る。


索道データ
名称
事業者 南予レクリエーション都市開発
所在地 愛媛県南宇和郡
山頂駅名称 馬瀬山頂
山麓駅名称 長崎
開業 1977年8月10日 
2006年3月(運行停止) 
索道の方式 単線自動循環式
水平 1548.74m
傾斜長 1566.37m
高低差 155.2m
支索の最急勾配 24.07°
支柱(基) 11
搬器の種類・数 72 
搬器の名称 N/A
最大乗車人数 4人
施工 日本ケーブル


*注1 


*注2
AECOM TOP 25 THEME/AMUSEMENT PARKS 2013 によると、TDL単体の2013年度の年間入場者数は1,7214,000人(1日約4万7千162人)。

*注3
横浜市戸塚区にあった民間の大型遊園地。1964年開園・2002年閉園。


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