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今回は、現在、浜松のセントラルパークとして市民に親しまれている浜松城公園内にかつて存在した索道のお話です。 |
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1945年の太平洋戦争終結後、戦災により大きなダメージを受けた浜松城跡一帯は、浜松市の市制40周年記念事業「浜松こども博覧会」の開催に向けて整備がおこなわれ、1950年(昭和25年)9月に同公園を会場として開催された博覧会は大変な人気を呼びます。 1ヶ月間の会期終了後、会場跡地には市営動物園(旧・浜松市動物園)がオープン。3年後の1953年に地元の名士を中心とした民間の事業者の手により浜松城の天守台と動物園を結ぶ索道、浜松城ロープウェイが開業します。 同索道はキロ程180mの遊戯物に近いものながら、名古屋陸運局の認可を受けた正式な交走式旅客索道。戦後間もない娯楽の少ない時代背景も手伝い、その開業は以下のように地元新聞で報じられ、市民の注目を集めました。 |
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チョット十分空の旅 浜松に新名物の空中ケーブル 中部七県下初といわれる空中ケーブルがこのほど浜松城跡に完成、十二日午後二時から盛大な開通式が挙行され、浜松名物が又一つとよい子たちを喜ばしている この空中ケーブルは浜松城跡と浜松動物園猿ヶ島間、百八十bを結び、地上廿五bの空中をゴンドラ二台が同時に往復する仕組みになつているもので、浜松の遊園地やプールを見下ろす十分間空の旅はチョット得難いスリル、乗車賃は大人四十円、こども廿円だとのこと 静岡新聞 昭和28年7月14日 −原文ママ− |
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索道の搬器は、ご覧の通り一度見たら忘れられないような強烈なデザイン。同じ1950年代に豊島園(現・としまえん)で開業した索道*注1でも同型の搬器が採用されていました。 |
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開業当初は県外からも利用客が訪れて賑わったロープウェイも「歩いても行ける距離と高低。たちまち営業不振に陥り、やがて廃業*注2」という結果となり、索道設備は1956年に浜松市に売却され市営となります。 市営化から1年間ほど営業した後、天守台に山頂駅があった同ロープウェイは、1958年の浜松城の天守閣の再建に伴って廃止が決まり、足掛け4年・実質3年間という短い運行の歴史の幕を閉じました。 |
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【机上調査】 浜松城ロープウェイは廃止から60年以上が経過している路線。さらに1983年の動物園移転の際の大幅な造成工事と公園の再整備で索道に関するものは全て消滅しているはずです。 索道について解っていることは、山頂駅は現在の天守台、山麓駅は動物園内の「猿ヶ島」なる場所にあったということと、傾斜長180m、高低差1.1m、地上高15mのワンスパン(支柱無し)構成の索道だったということだけ。 そこで今回は、これらのわずかな情報と、ロープウェイ運行時に天守台の山頂駅から撮影されたと思われる動物園の全景写真(絵葉書)、当時の地図を手がかりに、索道路線跡を検証してみたいと思います。 この付近に土地勘のある人は、この風景が現在のどの辺りなのか一緒にチェックしてみてください。 下の絵葉書の画像をクリックすると、大きな画面で表示されます(戻るときはブラウザのバックボタンで)。 |
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ロープウェイと動物園全景。- 1950年代の絵葉書より。 写真中央右の運行中のゴンドラの左横の切妻屋根の建物が旧・浜松市動物園の象舎。おそらくこのロープウェイの写真で最も有名と思われる「象とゴンドラのツーショット写真」− 浜松市動物園の公式サイトの沿革のページで見ることができる ー は、この象舎側からゴンドラを撮ったもの。 場所の特定の難航が予想された「猿ヶ島」の山麓駅は、幸い絵葉書の右上にはっきりと写っていて、索道の規模から簡易的なものを想像していた駅舎は意外に立派な建物。因みに猿ヶ島という名は、近くに猿舎があったので付けられたようです。 |
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動物園の道沿いに描かれた横長の建物が写真手前の建物と思われ、絵葉書の写真は天守台から北方向の角度で撮影された物と考えられます。 次のイラストマップは現在の浜松城公園。マップの方位は右上が北なので上記の位置関係を踏まえて考えると、山麓駅は天守台を基点とした半径180mの円周上の北方向、つまり「作左(さくさ)の森」の東寄りから「展望広場」一帯のどこかにあったと推察されます。 現在の浜松城公園園内MAP。 180mというのは駅間の直線距離。索道の距離には傾斜長と水平長があり、傾斜長は直角三角形の斜辺にあたるので、傾斜長180m、高低差1.1mのこの索道の場合は底辺に相当する水平長(直線距離)は約179.997mという計算になり、傾斜長・水平長がほぼ同じだったことが解ります。 |
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ここまでで山麓駅は「作左の森」から「展望広場」にかけての丘陵部の、天守台の標高より1m程度低い地点にあったということになります。 前述の通り、公園一帯は大規模な造成工事が何度か行われているのが気になるところですが、現在のピンポイントの標高はこちらの地理院地図で分かるので、山頂駅は天守台北側の標高31m付近、山麓駅は対面の「展望広場」の標高30m前後の地点と考えると、2点の中間の中央広場の外周道路西側の標高が15m前後なので地上高は15mになり、大体辻褄が合います。 |
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【訪問記】 2017年8月 浜松を訪れたのは昨年(2017年)の夏のこと。今回ようやくレポートに纏めることができました。 浜松行きのきっかけは、妻が2017年のNHK大河ドラマ「おんな城主直虎」を毎週熱心に観ていて、直虎ゆかりの龍潭寺(りょうたんじ)やドラマ館に行ってみようという事になったため。 既にお気づきの方も居るかも知れませんが、当サイトで掲載中のレポートは地形的に危険が予想された国内の2ヶ所を除き、全て二人で訪れています。 浜松城公園中央芝生広場。かつては国体がおこなわれたプールだった。 |
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JR浜松駅から至近のロケーションにある浜松城公園は、オフィス街と市役所に隣接する緑に囲まれた都市部のオアシス的な公園。 この日は日曜日で天気も良く、園内には散歩やスポーツを楽しんだり、ベンチに座っておしゃべりしたり、スマホを覗き込んだりと、思い思いの休日の午後を過ごす市民の姿がありました。 まずは、索道の山頂駅があったという天守台から先に行ってみることに。 |
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1958年(昭和33年)に市民の浄財によって再建された浜松城天守閣。 今回調べた資料では一様に「山頂駅は天守台にあった」とは書かれているものの、天守台の「再建された天守閣が建っている石垣の上」だったのか、「天守閣が建っている石垣がある天守台の敷地内」なのか言及されておらず、机上調査は後者として行いました。 現地で、運良くロープウェイの運行時代を知っているという方の話が聞け、予想通り後者の「天守閣の石垣が建っている天守台の敷地内」が正解ということが判明。 駅舎が建っていた位置は、天守台の様子が一変してしまったのでその方も分からないようでしたが、山麓駅に面した天守台北側で間違いなさそうです。 |
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写真は天守閣から北側の眺めを撮ったもの。なるべく絵葉書の写真に近いアングルで撮ったつもりですが、どうでしょうか。 |
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では、問題の山麓駅疑定地へ。作差の森は都会の喧騒からわずか数百メートルしか離れていないとは思えないほど静かで落ち着いた空間。 |
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下の写真が展望広場の山麓駅疑定地付近。もちろん遺構等は何もなく、木立をリスが駆け回る自然公園の広場です。 展望広場の山麓駅疑定地付近。 周囲を見渡すと、天守閣が真正面に見える場所があり「浜松城展望撮影ポイント」と書かれた立て札が。ーどうやらこの辺りだった感じですね。 |
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以上で今回のレポートも終わり。ー 確信犯ながら、遺構残存率0%。 しかし、机上調査パートで書いた「索道に関するものは全て消滅している」というわけではありませんでした。 それは、天守台の南側にある伏見稲荷神社。この索道の創設者である、件の地元の名士氏が勧請したものということです。 中央の赤鳥居が伏見稲荷。 |
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【サイト10周年】 さて、御蔭さまで、気がつけば当サイトも今年(2018年)で10周年を迎えました。多忙のため更新が停滞気味ですが、今後ともご贔屓に 管理人 vision*J |
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*注1
豊島園ロープウェイ 開業:1958年・キロ程:129m・施工:大和索道梶B
*注2 参考:浜松城物語
*注3
昭和30年代頃までは国内ではロープウェイのことを空中ケーブル・またはケーブルカーと呼ぶことが多かったため、浜松城空中ケーブル・浜松城ケーブルカーと表記している資料もある。
*注4
(財)日本鋼索交通協会の資料によると、浜松城ロープウェイの運行速度は1.33m/s(時速約4.79km)なので乗車時間は2分15秒という計算になる。単走式ではないので往復乗車はありえないが仮に往復しても5分以内ということになり、新聞記事の「十分間空の旅」は誇張して書かかれたものと思われる。実際に180mを10分かけて進むと速度は0.3m/sとなり、索道の場合だと一見空中で停止しているように見えるくらいの超低速運行ということになる。