鳥取県の県庁所在地である鳥取市は、日本最大の砂丘として全国的な知名度を誇る鳥取砂丘のある街。 久松山(鳥取城)ロープウェイは市の中心部であるJR鳥取駅や鳥取県庁から至近の久松山(きゅうしょうざん:標高263m)の山麓から山頂までの約600mを4分で結んでいた索道。 久松山は中世から明治維新の頃まで鳥取城があった山で、現在、山麓周辺は市民公園(久松公園)として整備され、市民の憩いの場となっています。索道の運行期間は約5年と短く、現在でも搬器とロープ以外の遺構が残されています。 索道の開業は1969年(昭和44年)で、その背景には戦後から度々検討されてきた鳥取城の天守閣の復興計画と、開業の翌年にあたる1970年に大阪で開催された日本万国博覧会(通称:EXPO70/大阪万博)があったようです。 1億466万人の半数以上にあたる6422万人が訪れた大阪万博は、国内に「民族大移動」をもたらしたと云われています。 |
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関西圏と隣接する鳥取も、当然その効果が期待できるとして、当時の鳥取市観光協会のパンフレット(左の図)には「万博の帰りは鳥取市へ」の文字が見られ、万博見物からの市内への入り込み観光客にアピールする観光施設のひとつとして、この索道も紹介されています。 |
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【訪問記】 2007年5月 ここを訪れた日は、山陰方面を旅行中に兵庫から次の宿泊地の島根へとレンタカーで移動中で、山陰道に入ったあたりでこの索道の事を思い出し、急遽、鳥取市街に突入しました。 |
県の施設として再利用されている山麓駅舎跡 |
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この時点で分かっていたのは、久松山は県立博物館の近くだということと、山麓駅は現在も残っていて、県の施設として再利用されているという事だけでしたが、市の中心部だからすぐ見つかるだろうくらいに楽観していました。 はたして県立博物館はナビですぐ見つかったので、「索道の駅舎のありそうな場所」にあたりをつけて、山麓周辺を走り回りましたが、それらしき建物が一向に見つかりません。 鳥取市街に入った時点で、すでに17時を過ぎていたので、急がないと日が暮れてしまいます。しかし、山の裾野に沿っていると思っていた道が違う方向に離れていったり、行き止まりになったりするのでその度にUターンを繰り返しているうちにどんどん時間が経過していく始末。今回は諦めて引き揚げようということになった時、市民公園正面から見てほぼ山の裏側の、坂の途中のトンネルの手前に、それはありました。 そこは何度か通り過ぎた場所でしたが、建物の周りが鉄板で覆われていたので、気が付きませんでした。観光用の索道の駅舎があったに場所にしては、なんだか少しさびしいところで鳥取駅からのアクセスもあまり良くないように思えました。 山麓駅舎跡は現役の施設のため、メンテされており、かなり古い建物にしては傷みも少ないようでした。旧山麓駅舎の写真を撮り終えると、もうあたりは薄暗くなっていたので山頂駅跡探訪は断念し、鳥取の街をあとにしました。 |
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