「相模の屋根」とも呼ばれる丹沢山塊は、神奈川県北西部の東西約40km、南北約20kmの山域。標高では最高峰の蛭ヶ岳でも1674mと中級山岳ながら、複雑な地形を持ち、ハイキングやトレッキングを楽しむ家族連れから、沢登りのエキスパートまで、幅広い層に愛される首都圏近郊のアウトドア・フィールドです。
その丹沢に、昭和の時代に建設が計画され、着工前に中止された幻の索道計画がありました。
表丹沢ロープウェイ(仮称)は小田急電鉄によって計画された索道で、小田急線渋沢駅から出ている大倉行きバスの終点のさらに先にある「戸沢出会」の山麓駅から、大倉尾根の花立(標高:1370m)の山頂駅までの水平長1227mを70人乗りの大型搬器で結ぶというもの。 同社が箱根で「箱根ロープウェイ」を開業した1962年(昭和37年)から計画が進められていました。
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ロープウェイ着工予定を報じる当時の新聞の紙面。出典:神奈川新聞 昭和47年2月17日
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それまで県立の自然公園だった丹沢は、1965年の国定公園への格上げに伴い、登山道・山小屋の整備と、東丹沢・西丹沢それぞれの登山基地の設定および両者を結ぶ幹線道路の建設が計画され、小田急のロープウェイ計画もこの公園計画に盛り込まれます。
小田急は1966年(昭和41年)に丹沢ロープウェイ建設事務所を設け、翌1967年には山麓駅へのアクセス用となる戸川から戸沢出合までの林道の改修工事が一応の完成を見ます。
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しかし、林道の状態はバス乗り入れには不充分と県公安委員会から指摘される一方、地元山小屋組合から反対を受け、計画はなかなか進捗しませんでした。
その間、小田急は地元との折衝を続けていましたが、1968年から69年にかけて陸運局と県の承認が相次いで下り、ほぼ同時に山小屋組合からも建設の了承を得ることができます。
小田急側は山頂駅の花立付近に建設する予定だった展望台の替わりに、避難所を兼ねた休憩所だけをを造ることとし、計画は、バス乗り入れ道路の認可待ちとなります。
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しかし、1968年に岐阜県で発生した観光バスの大事故をきっかけに、バス道路の安全基準が高まったため、道路の認可は一向に下りませんでした。
やがて計画開始から約10年後の1972年、漸く道路改修工事開始の目途がつき地元新聞が着工の予定を報じた直後、自然保護団体から反対の声が上がり、最終的に県から着工の無期延期の要請があったため、小田急は暫く着工を見合わせていました。しかし、その後の建築資材の暴騰により1974年(昭和49年)に事業計画を中止しました。
私がこの索道計画について知ったのは「ミスター丹沢」として知られる奥野幸道氏の著書、丹沢今昔―山と沢に魅せられて で、この本には、かつて丹沢にも森林軌道や木馬道があり、さらに「パンテオンスキー場」なるスキー場も存在したことなどが書かれていて、興味が尽きません。
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【参考文献】
奥野幸道 「丹沢今昔―山と沢に魅せられて」 2004年
小田急電鉄 「小田急五十年史」 1979年
神奈川新聞 1972年2月17日/ 同3月9日 記事
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【訪問記】 2008年6月
索道が計画された大倉尾根は、丹沢の数多い登山コースの中でも最もポピュラーな「表丹沢縦走コース」にある尾根で、休日の尾根道はいつも多くのハイカー・登山者で賑わっています。
丹沢は神奈川県民の「心のふるさと」とも呼ばれる自然豊かな山なので、これを読んでいる皆さんの中にも丹沢に思い出がある人が居ると思いますが、私も高校時代に部活の合同練習で丹沢主稜(大倉-塔ノ岳-丹沢山-蛭ヶ岳-檜洞丸)を縦走し、最後はかなりヘロヘロ状態でバス停に辿り着いた懐かしい思い出があります。
今回は索道の山麓駅の予定地だった戸沢出会近くの水無川の河原の駐車場まで、バス道路になる予定だった戸川林道を車で通りましたが、路面は荒れ気味。道幅も、バスが通るのはかなり厳しそうな箇所がありました。
下の写真は駐車場から見た花立方面。この日は朝から小雨が降っていて、花立はガスで隠れています。戸沢出会は、駐車場から坂を上ったところにある少し開けた場所で、山小屋と臨時派出所があります。
戸沢出会の駐車場。中央右方向の稜線上の花立はガスで見えない。
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ここから大倉尾根までは、天神尾根と呼ばれる展望の無い植林地帯を歩きます。戸沢出会と花立にはかなり標高差がありますが、この天神尾根の急登で一気に高度を稼ぎます。
やがて大倉尾根の尾根道に合流すると、周囲の展望が開けて勾配も緩くなり、あとは山頂駅予定地だった花立までひたすら木段を登ります。
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右の写真は花立の近くにある花立山荘(標高:1300m)。駐車場からここまで2時間近くかかりましたが、ロープウェイは、それを約6分半で結ぶというものだったとか。
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花立山荘 |
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そう言えば数年前、東丹沢(大山)に厚木市が索道を建設するという話がありましたが、その後どうなったのでしょうか。
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尾根一帯には濃いガスが発生していましたが、山荘前の広場では多くの登山者がお昼を食べたり休憩したりしていて賑わっていました。山荘の方に尋ねてみると、当時、予定地の花立には「ロープウェイ建設予定地」という看板が立っていたとのことです。
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山頂駅予定地と思われる場所。
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当時の花立山荘は、現在より少し上の方にあったそうなので、山荘から塔ノ岳方向へ移動すると「金冷シ」の手前あたりに、それと思われる開けた場所がありました。(上の写真)。
ここから秦野方面を眺めながら色々思いを巡らせたかったのですが、ご覧の通りガスでなんにも見えません(泣)。いつもは相模湾や横浜のみなとみらい地区・新宿の高層ビル群などが見渡せる塔ノ岳山頂も、この日は視界がありませんでした。
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今回の索道計画線の探訪は、有酸素運動を兼ねた丹沢の山歩きが楽しめるので(一般的な山岳装備は必要)、ある意味、このサイトで紹介している索道跡巡りの中で、最もオススメと言えます。ぜひ、天気のいい日に(笑)お出かけ下さい。
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Mapion地図ガキ |
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