全国の廃線ロープウェイ|失われたロープウェイ

索道について
 鳴子スカイポーター(休止線)

鳴子国体 1994 南東北屈指の名湯として、また「鳴子こけし」で全国的に知られる宮城県大崎市の鳴子温泉。

鳴子スキー場はJR鳴子温泉駅からほど近い、標高984mの花渕山の南斜面に造られたスキー場。冬季国体やインターカレッジをはじめ、国内の主要競技会がおこなわれた名スキー場(現在は休業中)。
第49回みやぎ鳴子国体TC

同スキー場は当初「花渕山スキー場」として開業。後に経営の交代に合わせて「鳴子スカイバレー」、「鳴子スキー場」と名称を変更しています。

鳴子スカイポーター(のちにスカイバレーと改称*注1)は1993年に運行を開始した6人乗りゴンドラリフト。シーズン以外も花渕山登山の足として、グリーンシーズンと紅葉シーズンに運行していました。

鳴子のスキーの歴史は古く、1920年(大正6年)にスキーが伝えられたと記録されています。1926年には温泉街近くに上野々スキー場(後述)が完成、戦前の大きな大会やスキーイベントなども催され、鳴子はスキーの街として知られていきます

花渕山も古くから山スキーの対象となっていましたが、戦後の1962年の第1リフト完成を契機に、近代スキー場「花渕山スキー場」として営業を開始。1964年の第2リフト完成時から「国設花渕山スキー場」となり、1970年には山頂近くまで達する初代第3リフトが完成。インカレや県体のアルペン競技大会が盛んに行われます。

競技者や上級者向きの硬派なスキー場だった花渕山スキー場は、1993年に鳴子にとって2度目*注2)の冬季国体となる、みやぎ鳴子国体(1994年)の開催に向け、ゴンドラの新設・コースの拡張など大幅なリニューアルをおこない、リゾート系スキー場「鳴子スカイバレー」として生まれ変わります。

花淵山スキー場
左:花渕山スキー場ゲレンデマップ(オールスキー場完全ガイド'80 /立風書房より)
右:鳴子スキー場ゲレンデマップ(現地の案内板より)
*画像をクリックで拡大表示

しかし、スカイポーターが運行を開始した1993年(平成5年)はスノーレジャー産業にとって大きな転機となった年でした。それまで右肩上がりに増加を続けていた国内スキー場の索道収入が、過去最高だった前年の1510億円のまま初めて横ばいとなり、翌1994年から急激に落ち込みはじめたのです。−所謂スキーブームの終焉です。

鳴子スキー場は南斜面で標高もあまり高くないため、95-96シーズンには最新型降雪機の導入・さらなるコース拡張などのテコ入れをおこないますが大幅な集客には結びつかず、最終的に01-02シーズンの営業を最後に休業に入りました。

【訪問記】 2014年2月・10月

宮城県のスキー場で自分が知っていたのは、みやぎえぼしとオニコウベのみ。なので、ここでの滑走経験はありません。

鳴子スカイバレー
鳴子スカイバレー山麓ステーション。

センターハウスを兼ねた山麓ステーションは宮城県から山形県へ通じる国道47号に面して建っています。写真は2014年の2月の様子ですが、建物のメンテは続けられているようで、ぱっと見は営業中のように見えなくもないです。

しかし休業中なのは分かっているので滑るわけにもいかず、山頂駅の探訪は雪の無い時期におこなうことにして国道から写真を撮り、とっととオニコウベに向かいました。



さてその半年後、また鳴子にやってきました。ゴンドラの山頂駅は花渕山の登山道沿いにあるので、今回は秋の花渕山トレッキングを兼ねての探訪というわけです。


((((;゚Д゚))))



鳴子の壁付近。中央にロープが見える。


登山口に着くとさっそくこの看板です。マムシ(蛇)に注意といわれても、どうやって注意したらよいのやら・・。





気を取り直してしばらく登ると、ポール(ストック)が無いと登れないくらいの登りが始まりました。ここがスキー場名物だったという、最大斜度38°の「鳴子の壁」付近と思われます。なお、実際はポールを持っていなくても登れるように、斜面にロープが垂らしてあります。

やがて東側のゲレンデに出て見通しが良くなると南側に鳴子の温泉街が見渡せます。

ここからさらに東の樹林帯に入り、最後に大きく西側に回り込むとゲレンデ中間部に出て、スカイポーターの山頂駅が現れました(下の写真)。登山口からここまで約1時間30分でした。

鳴子スカイバレー
山頂駅(画像にマウスオーバーで展望デッキからの眺めに)。

山頂駅の標高は700mくらい。ここから少し北へ進み、第3リフトの対面を登ると花渕山の山頂のようですが、今回の目的は達したのでコンクリ敷きの展望デッキから温泉街を眺めながらお弁当を食べて下山しました。

まだ紅葉には少し早かったので、私たち以外に登山者はいませんでしたが、幸いマムシや熊にも遭遇しませんでした(笑)。登山道は概ね良く整備されていて、一部ハードな登り(下りの方が大変)もある、なかなか飽きさせないトレッキングコースでした。

鳴子スカイポーター
運行当時のスカイバレー(旧・スカイポーター)  
-出展:鳴子スキー&リゾート案内 1998

【参考資料】
鳴子町史 鳴子町史編纂委員会 1974年
スキーにかけた人々がいた 鳴子町観光協会 1994年
三菱重工技報 三菱重工業 1996年


【もうひとつの鳴子スキー場】

戦前のスキー関係の資料に「鳴子スキー場」の名は度々登場しますが、前述のとおり鳴子スキー場(花渕山スキー場)は戦後の開業。戦前、一般に「鳴子スキー場」と呼ばれていたのは、大正12年開業・現在も営業中の温泉街近くの老舗スキー場、上野々(うえのの)スキー場のこと。

現在の東北のスキー場ガイドで上野々スキー場は一様に「温泉街に近い、ファミリー向けのアットホームなゲレンデ」と紹介されているので、こぢんまりとした温泉スキー場をイメージしていましたが、実際に訪れてみると、これが予想に反してかなり横に広いオープンなゲレンデ。

一見してハイクアップ時代からのゲレンデと解る、その歴史を感じる佇まいには、ちょっと感じ入るものがありました。

上野々スキー場
上野々スキー場。

確かに緩斜面中心で各コースも短めなので、爽快な滑走を楽しむには不向きと言えそうですが、それはアルペン系のゲレンデスキーの視点で見た場合の話。上野々スキー場はかつてクロスカントリースキーのメッカで、現在もクロスカントリー競技の公認コースがあるスキー場なのでした。

上野々スキー場の完成と同時期には、近くの三角山にシャンツェ(競技用ジャンプ台)が完成。クロカン、スキージャンプといったノルディック系スキーからスタートし、戦後の花渕山スキー場の完成でアルペンスキーの大会でも知られるようになった鳴子町。

国内のスノーレジャー人口は再び増加傾向*注3)にありますが、鳴子スキー場の現在のゲレンデ状況を見る限り、復活はそう容易くはなさそうです。しかしぜひ再建し「スキーの街」としての復権を果たしてほしいと思いました。


索道データ
名称 鳴子スカイポーター →スカイバレー
事業者 花渕山観光開発 →鳴子スキー&リゾート(Matsukyu Group)
所在地 宮城県大崎市
開業 1993年10月30日
休止 2002年3月
索道の方式 単線自動循環式
傾斜長 1,418m
高低差 473m
最急勾配 36.26°
最大乗車人数 6人
最大輸送能力 900人/1時間

*注1 
スキー場の名称が「鳴子スカイバレー」から「鳴子スキー場」に替わった際に、ゴンドラの名称が「スカイポーター」から「スカイバレー」へ変更された(ややこしい)。


*注2 
一度目は1963年(昭和38年)開催の第18回冬季国体。


*注3 
余暇市場におけるスキー場(索道収入)は2011年に長期低迷の底を打ち、2012年・560億、2013年・570億と2年連続で増加を示した。(参考資料:レジャー白書2014/日本生産性本部)



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