全国の廃線ロープウェイ|失われたロープウェイ

三谷温泉ロープウェイ

愛知県蒲郡市の東部に位置する三谷温泉は、眼前に三河湾が広がる風光明媚な温泉地で、近年ではマリンスポーツのメッカとしても知られています。
  

三谷温泉ロープウェイは、1958年(昭和33年)に開業した市営の索道。三河湾に面した乃木山と呼ばれる標高50m級の小山の頂上と、国道を挟んで向かい側の弘法山(標高92m)の頂上までの約390mを、21人乗りの小型搬器が往復していました。

それぞれの山の頂上には、乃木山には乃木将軍像が、弘法山には東洋一の大きさを誇る、三谷温泉のシンボルとも言える子安弘法大師像(高さ18.78m)がありますが、当時はこれらの像の他に、乃木山の山頂には市営のプラネタリウムが、弘法山の山頂には「弘法山遊園地」という小規模な遊園地と「バンビセンター」という鹿の動物園があったそうです。

下の写真は、昭和40年前後に乃木山山頂から撮影されたと思われる、当時の絵葉書の写真です。ご覧の通り、弘法大師・乃木将軍・ゴンドラ・旧車(初代マツダキャロル)という、非常に「濃い」コラボレーションです。写真にマウスを乗せると、現在の乃木山山頂の写真に替わります(かなりアングルが違いますが)。


ちなみに絵葉書と同じアングルから写真を撮っても、周囲の立ち木が成長し過ぎで「木」しか写りません(泣)。絵葉書の写真で、ゴンドラが接近している柵のあたりが今回撮った写真の中央奥のガードレールがある位置です。外灯の状態に時の流れを感じます。

三河湾が国定公園の指定を受けた昭和30年代前半、蒲郡市は三谷温泉周辺の観光開発を決定。ホテルや飲食店を誘致し、上記のレジャー施設を作りました。

絵葉書の写真にもうっすらと写っていますが、同時代に撮影されたと思われる右の写真には、弘法山の山頂付近に観覧車のような物が見え、その手前に「さくらフィルム」という広告看板のある建物が見えます。


当時の弘法山山頂付近


1973年の地形図。国道を超える索道の記号。

当時、全国各地でイケイケムードの観光開発が行われていましたが、蒲郡青年会議所編纂の「蒲郡春秋」によると、そんな時代の中にあっても市は観光索道事業に関して冷静だったようで、開業前から経営が成り立つ、成り立たないの論争があったそうです。

索道は1970年に名鉄に無償譲渡された後、1975年に正式に廃止されましたが、実際には山頂への道路の整備などにより、比較的短期間で運行を停止したそうです。


訪問記】 2007年9月

乃木山の駅舎と、プラネタリウムの建物は現在、大聖寺大秘殿という宗教関連の施設になっています。プラネタリウム特有の半円形のドームはそのままで、索道駅舎時代のなごりとして、ゴンドラ発着所のガイド部分が残っていました。(右の写真)





弘法山の山頂は、弘法大師像の参拝者で賑わっていました。しかし、どうも若いカップルが多いみたいなので周りをよく見渡すと、海側を見下ろす位置にLovers Hill(恋人たちの丘)と書かれた展望所があり、そこでカップルたちが「愛の鐘」を鳴らして楽しんでいます。

私たちも行ってみると、三河湾がよく見え、なかなか良い眺めです。何気なく下を見ると、なんとそこには索道のプラットホーム(下の写真)が・・・。

「恋人たちの丘」はゴンドラ発着所跡を再利用して作られた展望所でした。写真のプラットフォームの延長線上の丘の上に小さく見える薄いグリーンの屋根が乃木山の駅舎跡。

写真にマウスオーバーで、1960〜70年頃に弘法山から撮影されたと思われる乃木山山頂の写真に切り替わります。駅舎やプラネタリウムが、はっきり見て取れますが、またしてもアングルがかなり違いますね。


索道データ
名称 蒲郡三谷温泉ロープウェイ*
事業者 蒲郡市
所在地 愛知県蒲郡市
山頂駅名称 弘法山
山麓駅名称 乃木山
開業 1958年4月19日
1975年
索道の方式 3線交走式
水平長 383m
傾斜長 391.5m
高低差 34m
支索の最急勾配 13.44°
支柱(基) なし
搬器の種類・数 箱型 2
搬器の名称  
最大乗車人数 21人
施工 安全索道
*開業時の名称は蒲郡弘法山観光ロープウェイ

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