来年(2010年)は、いよいよカナダのバンクーバーで冬季オリンピックが開催されますが、日本でも過去に長野(1998年)と札幌で冬季五輪が開催されました。 |
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オリンピックの競技会場には、開会式が行われた真駒内、アルペンのGS・SLが行われた手稲山をはじめとした札幌市内の8ヶ所が設定されました。 |
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日本最北端の不凍湖である支笏湖を見下ろす恵庭岳は、アイヌ語で「鋭く尖った山」を意味する標高1320mの活火山。支笏洞爺国立公園内にあるため、大会終了後のコース会場の自然修復を条件に整備が行われることになりました。 コースの造成はエゾマツや背丈を越えるクマ笹の密生する急斜面で1968年6月から開始され、ほぼ同時(7月上旬)に索道の建設が着工されます。恵庭岳の索道工事には高い技術力が求められ、施工は名門・安全索道が担当。多くの困難を伴いながらも工事は進み、1970年1月に索道は完成、コースも2月に使用可能となりました。 しかし、翌1971年2月に開催された札幌国際スポーツ大会(プレオリンピック)の前後には、FISジュリーメンバー*注3から度重なるスタート地点の変更やコースの延長の勧告があり、その都度コースに修正を加えることになり、工事関係者の苦心は想像を絶するものだったといわれています。 |
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さらに、オリンピック直前の1971年の12月8日からは、極度の雪不足と異常暖気による融雪対策を行うため、自衛隊の支援隊334名が現地に宿泊して集雪と運搬が行われ、コース整備のために運搬された雪は最終的に2万7100立方メートル(6m3積みトラック4500台分)に達しました。 |
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【参考文献】 第11回オリンピック冬季大会札幌市報告書 1972 札幌市総務局オリンピック整理室 編 第11回オリンピック冬季大会札幌1972公式報告書 1972 札幌オリンピック冬季大会大会組織委員会 編 札幌オリンピック冬季大会公式ガイドブック 1972 札幌オリンピック冬季大会大会組織委員会 編 1972 札幌オリンピック冬季大会. vol.2 札幌オリンピック冬季大会大会組織委員会 編 1972 札幌オリンピック冬季大会と電気通信 日本電々公社編 1972 千歳市史(上記二冊からの引用部分) 1983 千歳市 編 |
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【訪問記】 2009年5月 この路線は以前から気になっていて、地形図を見ながら登山道の無い恵庭岳南西斜面の、標高1000m付近の山頂駅・標高600m付近の中間駅の駅跡までの到達ルートを机上で検討していました。 いずれにしても、探索にはそれなりの準備や装備が必要なことは確実。山頂付近には登山禁止区間もあるようなので、一度現地の様子を見ないと埒が開きそうもないと思い、ちょうどGWに春スキーで小樽(キロロ)に行く予定があったので、ついでに下見のつもりで、現地に立ち寄ってみることにしました。 恵庭岳南西斜面に面した、道道78号支笏湖線のオコタンペ湖から美笛までは冬季閉鎖される区間なので、出発前に札幌土木現業所に電話で問い合わせると、支笏湖までなら1週間前に除雪作業が完了して車で通れるという返事でした。 |
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*注1 今回参考資料とした3種類の札幌オリンピックの「公式報告書」は、ミクロ的な単純集計数値が中心で、札幌大会の総来場者数や、国別の入りこみ数など、複合的な集計が必要な数値と、データのサマリ(要約)の項目が見あたらなかった。唯一、大会チケットの総売り上げ枚数の64万2185枚というのが参考になりそうだが、これもいわゆる「延べ来場数」とは同列に比較できない。 *注2 現在のノーマルヒルのこと。 *注3 国際スキー連盟(FIS)の技術代表、競技委員長、レフリー等からなる組織のこと。 *注4 ヒグマの恐ろしさをもっと知りたい人は吉村昭のノンフィクション小説「羆嵐」を読むべし。 *注5 クマ牧場での営業運転は、恵庭岳とは別の路線として登録され、施工は日本ケーブル鰍ェ 担当した。搬器以外の索道施設は現在も貨物運搬用として同牧場で使用されている。 |